3/9(水) 晴れ

晴れててよかった、という日。出社前に脚本に着手したけど、もう全然わけわかんなくなってしまい、全て投げ出してしまいたい気持ちになる。そのあとも会社で企画する必要があって、その時間をたっぷりとっていたのだけど、気持ちが千々に乱れててんでだめになってしまった。自分はなんて何にもできない人間なんだ病に襲われる。会社にいるのに泣きたくなってくる。もうダメだと思って、避難することにした。

避難場所は、会社から歩いて10分くらいのところにある、森の中の神社。歩く時間もありがたいし、神社に着く頃にはいつもたいていポジティブな気持ちになっていっているので不思議です。向かっている時、晴れててよかったと思った。こんな気持ちの時に、雨が降っていたら、そもそも出かけたいと思わないかもしれない。でももしかして、雨の日に行ってみるのも一度やってみてもいいかもしれない、とか考えながら歩く。

私の考えとか、私のアイデアがとか、私のものの見方はとか、私は「私は私は、」と矢印が自分に向いてしまっているとき、大抵すぐにダメになる。もっと外に矢印を向けていて、こうならこうしたらどうだろうって軽やかに反応していくように動けているときって、体も軽いし全然落ち込んだりしないことはわかってるのに、意識的にそれをするって難しい。そのときふと、難しいからそれを意識してできるようになることは仕事になるのかもしれないなと思った。何かを作る時に大切なことってもしかして、ワクワクし続けることで、それってもしかして性格とか天賦のもの(も当然あるだろうけど)じゃなくて、できるようになれることなんじゃないだろうか。そして私はそういう仕事をしているのかもしれないし、そんな仕事ならとてもしたいなと思う。何か考えたり作り上げる時に、軸を見失わないで進み続けることってすごく大切だとは思っていたけど、その軸ってもしかして、ワクワクし続けるところがどこで何なのかを分かり続けてそっちに歩き続けることなのかもしれない。なんかそんなふうに思ったら、どんなときでも、楽しいきもちでいること、ワクワクしていること以上に大切なことってこの世にあるだろうかという気持ちになってきた。素敵で崇高なナイスアイデアが考えられることより、いつでもワクワクしていることの方がずーっと大切なんじゃないだろうか。そう思ったら、私はそれだけがんばればいいという気持ちになって、ふっと心が軽くなった。おみくじも、申し合わせたみたいに大吉が出た。

その後は一日、ご機嫌で過ごした。

今日観たもの「SHERLOCK2-1」、今日読んだもの「三千円の使いかた」。