10/31(日)雨のち曇り

昨日は、松野家の7人目のニートのように「おそ松さん」をみながら過ごしたので、今日は意識して立て直す。

誰も立て直してはくれない、自分でやらなくちゃ、とか思いながら。

こういう生活1人だからなのかなぁ、とふと思う。

もし私が誰かと住んでいたり、こどもがいたりしたら、こんな風に自分の思うがままにまかせて時間を使うなんてできないんだろうか。

 

朝からやっと「ミッション・インポッシブル」を見て、選挙へ。

最高裁裁判官の国民審査に全部✕をつけながら、この投票用紙って、私たちの声なんだって実感して泣きそうになった。

昔、母は私に、最高裁裁判官の国民審査は、よくわからなかったらとにかく全部✕をつけなさいと教えた。

最高裁裁判官のことなんて、私たちは正直わからないから、基本的に✕はあまりつかないものだそうで、だから、あ、私のこと✕っていうふうに言う誰かがいる、自分は見られている、そういうふうに裁判官に思ってもらうために✕をつけるんだよって言われた。

それは正しいか、正しくないかわからないけど、でも、選挙に行くってそういうことだ。

私たちはちゃんと政治を見ている、それを意思して届けないといけない。

生まれてはじめて出口調査の人に声をかけられたけど、いつ夜8時の開票とともに結果が出てるのが癪なので「すいません」と言って答えなかった。

でも今思うと、あのお姉さんもこの寒空雨降りの下ああやって聞く仕事、しんどいよな。答えればよかったかなと思う。

 

柿のタルトを食べながら「驟雨とビール」を読んで、IDEEと無印でスリッパと湯たんぽを買った。

かわいく言えば冬支度だけど、サイズを間違えたもこもこスリッパと蓋をなくしてしまった湯たんぽの代わりを買いにいったので、不注意の穴埋めの買い物です。

 

2時から4時半くらいまで、脚本。

もう何が書きたいんだか、何をよしとしたいんだかわからなくなっていたけど、立て直す。

昔自分の書いていた日記に励まされた。

 

脚本は、私の言いたいことや想いや、自分の内面やそういうものは、

きっと出てしまうものなのだけど、

でも、私をいい人にみせたり、私の”素晴らしい考え”を開陳するための

ものではないんだ。

それもハッキリわかった。

 

人物がいて、その人物にハッキリ寄り添って、

その人の目で考え、つくっていく。

 

それに励まされて、歌がどんな人なのか、扉がどんな人なのか、ウソがないところまで下りていって記録した。

でも形にしないと。まーしーが待ってる。でも楽しい気持をなくすのはもっとダメだ。

 

私は、何者でもない。

アナザーエナジー展でおばあちゃんの言っていたことが残る。

ただ、つくるというそのことに自分を載せて、自分にできることを知って、それをやるのみ。