2/13(日) 雨/アメリ

NETFLIXで「アメリ」を観た。もう、何度も観ている映画だ。初めて観たのは高校生か大学生のときで、その頃だけで10回以上は観ている気がする。BGMのようにして流していた映画だった。とにかく心地よくて、アメリのような現実に対峙したくないよっていう性格も、今思えば自分が観て安心できる設定だったんだと思う。私みたいに、勇気が出せなくてウジウジしてても(当時はアメリよろしく、慣れない片思いにドギマギしまくりだった)、いつかアメリみたいに、人生勇気を持ってすすめるんだって思ってたのかもしれない。

それからしばらくは、全然観ることがない映画だった。でも、10年ほどのブランクののち、去年の後半からまた「アメリ」をよく観るようになる。書き上げようとしてる脚本の参考になると思って見直し始めたのだ。今日も「アメリ」の構造を勉強するつもりで、逆バコ起こしをしながらまた見直した。

それで、あるシーンが来たときにふと思い出した。わたし、そうだった。この映画が好きだったんだ、すごく。勉強するつもりで観ていたから、忘れていたけど。

そのシーンというのは、アメリのお父さんが旅に出たドアーフからのインスタント写真を心待ちにしていて、ついには門のそばで掃除をしながら、郵便屋さんを待っているシーン。これは掃除だよ、待ってるんじゃないよというフリをしながらも、ソワソワと手紙を待っているその姿がかわいらしくて、人間っていいなぁって思えるシーンだ。本当に何気ない一瞬のシーンなんだけど、人間っていいなぁって思えるのってこういうディテールだったりする。

ジョゼフが新しい彼女のジョルジェットと会話する男に「らくだ男」というあだ名をつけていること、ニノが失敗した証明写真や人の笑い声を集めていること、ガラス男が外の時計をビデオカメラでテレビに映して暮らしていること、アメリ白杖のおじいさんの手を引いて声で街案内をしてあげるところ。

アメリ」はこういうディテールが本当にチャーミングで素晴らしい映画で、私がこの映画を好きだったのもディテールを大切に描いているからだ。アメリが自分の世界を不器用に飛び出しながら、一歩一歩ニノに近づいていく筋書きや構造もさることながら、アメリやその周りの登場人物たちの日常のディテールにこそ光を当てて、大切にしている。人間って、人生って、なんかすっごくいいな!って思えるディテール。そういうディテールってオリジナルで、きっと映画の中だけじゃなくて、誰の人生にもオリジナルなやつがあるんだと思う。自分だけのディテール。そういうディテールで切り取って眺めたとき、人生は悪くなくて、人間はかわいいと思えるんじゃないだろうか。私はそんな風に世界を眺めるために、そしてそれを誰かにも眺めてもらいたくて、脚本を書きたいと思っていた。一生懸命書くことを重ねていた頃、そう思っていた自分を思い出した。今の自分が、そう思っているかはちょっとわからない。鈍っているのだ、自分がどう思っているのか、何を大切にしたいのか、今の私は10年前ほどはっきり、分かっていない。でもまた、そんな風にこれを大切にしてやっていきたいなと思えることを、わかっていきたい。それは昔とは違うかもしれないし、そのことを残念に思うかもしれない。でも、わかっていきたい。